石丸伸二市長の前職は三菱UFJ銀行のアナリストで、超エリート行員でした。
アナリストとは経済を分析・予測する専門家で、2006年に三菱UFJ銀行に入社後、企画部(エリート部署)に配属され、2014年には為替アナリストとして初代ニューヨーク駐在に赴任しています。
この記事では石丸伸二市長の前職・三菱UFJ銀行時代の経歴や、アナリストとはどんな職種なのか解説しました。
過酷だったニューヨーク駐在時代も必見です!
石丸伸二市長の前職はアナリスト!三菱UFJ銀行のエリート行員だった
石丸伸二市長の前職はアナリストで、三菱UFJ銀行のエリート行員でした。
アナリストとは、次のような役割の職業です。
アナリストとは、証券会社や銀行などの金融機関や投資顧問会社などに所属し、企業の増資や新製品開発の動向、収益や経営状態、そして国内外の全般的な経済、政治情勢など、幅広いデータや情報を調査・分析して、株価の評価や金融の将来予測を行うスペシャリストだ。
出典:マナビジョン
石丸市長は、三菱UFJ銀行で経済を分析・予測する金融の専門家(アナリスト)として働いていました。
京都大学経済学科を卒業し、2006年~2020年まで三菱UFJ銀行で勤めた石丸伸二市長ですが、銀行員時代の経歴がかなりすごいと話題になっています。
三菱UFJ銀行時代の経歴
石丸伸二市長の、三菱UFJ銀行時代の経歴をまとめたのがこちらです。
- 2006年4月:三菱UFJ銀行に就職
- 企画部・金融市場部に配属
- 2014年:為替アナリストとして初代ニューヨーク駐在に赴任
- 4年半にわたりアメリカ主要9エリア・25都市で活動
- 2020年7月:退職
石丸伸二市長が三菱UFJ銀行で働いていた期間は、2006年4月~2020年7月の14年3か月です。
2006年3月に京都大学を卒業後、石丸市長は三菱UFJ銀行に就職しました。
三菱UFJ銀行に入行し、経済や市場の分析・予測を専門的に扱うアナリストへ。2014年には為替アナリストの初代ニューヨーク駐在に就任し、世界各地を講演会などで飛び回るエリートとして順風満帆なキャリアを歩んできた。
三菱UFJ銀行に入社後は、企画部や金融市場部で、アナリストとして活動した石丸伸二市長。
担当範囲は、日本・米国・中国・韓国・中南米などで、政治・経済・市場を担当していました。
実は銀行員で企画部に配属されるのは、花形エリートコースと言われています。
そして2014年に石丸伸二市長は、”為替アナリスト“として初代ニューヨーク駐在に赴任します。
4年半にわたり、アメリカ大陸の主要9ヵ国25都市で活動したのち、2020年7月8日に退職願を提出し、退職に至りました。
三菱UFJ銀行員時代の画像や入社動機
石丸伸二市長の前職である、銀行員時代の画像がこちらです。
やはり銀行員ということもあってか、現在よりもお堅い見た目をされていますね。
三菱UFJ銀行への入社動機は不明でしたが、大道芸人になるか就職するかで悩んだんだとか。
石丸伸二市長は、大学卒業後の進路について、当時の気持ちを次のように語っていました。
大道芸人になるか、就職するかで悩んでいたそうなので、『どうしても三菱UFJ銀行へ就職したい!』といったわけではなかったようですね。
三菱UFJ銀行時代の給料
三菱UFJ銀行・アナリスト時代の石丸伸二市長の給料ですが、おそらく1200万円以上だったと考えられます。
年収目安が700万~1200万円ですが、石丸伸二市長は海外赴任だったこともあり、年収目安の最高額である1200万円か、もしくはそれ以上あったのではないでしょうか!
銀行員時代は超エリートだった
石丸伸二市長は銀行員時代、超エリートだったと言えます。
その理由がこちらです。
- 企画部配属
- アナリストとして初代ニューヨーク駐在に赴任
銀行員の出世街道についてリサーチしたところ、企画部に配属されるのはかなりのエリートなんだとか。
企画部は予算や決算の管理などを担うため、銀行のお金に関わる中心的な部署です。
三菱UFJ銀行のようなメガバンクでは、かなり優秀でなくては企画部に配属されないんだそうです。
よって石丸伸二市長は、かなり優秀だったと言えますね。
そんな企画部に配属された石丸伸二市長ですが、その後アナリストとしてニューヨークに赴任しました。
ニューヨークやロンドンなどは金融の最先端なので、海外赴任では出世コースと言われています。
金融の最先端であるニューヨークに、初代アナリストとして赴任された石丸伸二市長は、超エリートということになりますね!
石丸伸二市長の前職・銀行員時代
石丸伸二市長の前職である、銀行員時代は体力的にもきつく、かなり過酷なものでした。
石丸市長は自身の銀行員時代について、次のように語っています。
石丸伸二市長はニューヨーク駐在時代、体力的にきつくてそろそろ死ぬかなと思うほどだったんだとか。
市長になった現在でもニューヨーク時代のネームプレートを使っており、そのネームプレートをみると当時を思い出し『まだいける』と原動力になるんだそうですよ。
市長という仕事もかなり大変なものだと思いますが、上記のエピソードから前職の銀行員時代は相当過酷だったことが伝わってきますよね。
また銀行員時代の仕事について、次のようにポストしています。
前職の銀行は、特にルールに厳格な業種だと思います。
窓口を閉めて1円でも計算が合わなければやり直し。書類がなくなればシュレッダーから拾い集めて復元。顧客との面談は徹底して記録化。
信用を商売にするなら当然です。
本来、#政治家 もそうあるべきだと思います。
— 石丸伸二(安芸高田市長) (@shinji_ishimaru) February 18, 2021
ルールに厳格な仕事だった分、精神的にも体力的にもかなりしんどかったのではないでしょうか。
そんな過酷だった銀行員時代ですが、ニューヨーク駐在時は通勤にキックボードを使用していたんだそうです。
過酷な仕事でありながら、健康にも気をつけキックボードで通勤するとは、石丸伸二市長は運動神経もいいんですね!
銀行員からなぜ市長になったのか
石丸伸二市長が前職の銀行員から市長になったきっかけは、地元に恩返しがしたかったからでした。
石丸市長が市長になる決心をした出来事が、河井克行・河井案里夫婦による公職選挙法違反事件です。
2020年7月3日、2019年の参院選広島県選挙区をめぐる買収事件で、河井克行衆議院議員から現金計60万円を受け取った責任として、当時の安芸高田市長だった児玉浩氏が辞職しました。
しかし次期市長に立候補したのは、前市長である児玉浩氏が後を託した当時の副市長だけでした。
そのため石丸伸二市長は、このまま副市長が市長に繰り上げされただけでは、まちは変わらないと強い危機感を感じたんだとか。
当時について、石丸市長は次のように語られています。
他の誰もやらないなら、自分がやるしかない。これが自分の使命のように感じました。ニュースを見て一晩考えた末に、翌日には会社へ退職願を提出し、市長選への出馬を決めました。その時は一切の準備がない状態です。8月の選挙まで1ヵ月しかなかったので、迷っている時間が惜しかった、というのもありますが、いずれは地元に恩返しをしたいと思っていたので、すぐに覚悟は決まりました
当時の副市長しか立候補者がいないのなら、自分がやるしかないと使命を感じた石丸伸二市長。
一晩考え、なんと翌日には退職願を提出し、一切準備をしていない状況で出馬を決めたんだそうです。
選挙まで1か月しかない状況で、迷っている時間が惜しかったからだと語られていますが、すごい決断力ですよね!
『いずれは地元に恩返ししたい』と思っていたそうなので、覚悟はすぐに決まったんだそうです。
また石丸伸二市長の両親によると、小さい頃から『市長になる』と言っていたそうなので、なるべくしてなったのではないでしょうか。
そして見事当選した石丸伸二市長、今後の更なる活躍に期待ですね!